現代短歌研究室

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 [38]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2008年06月25日(水) 21時01分19秒 ]


星座空間

89.1単調に過ぎたる夕べ、三日月は形するどくわれをつらぬく。

三日月を吐き出だしにける東山、明日はしまろき月を産むべし。 もぐら
三日月のおぼろおぼろを見たりけり。明日は散るべき花のごとくして。 もぐら


89.8刻みたる林檎煮てゐる。午後の刻茫茫として過去遠くなる。

林檎刻み、これはジュースかママレードならむか、包丁任せなりけり。 もぐら
林檎煮て、ブーケガルニかなどと思ひ、つい面倒とジュースとなしたり。 もぐら


91.5紙畳む音たててゐる老人の足もとによる、晩冬の鳩。

万札を万枚畳む年寄りにあらまし、寝床の新聞紙畳む。 もぐら
札束の生々しきを見ることのなくなりにける電子マネーは。 もぐら


93.4灯を消してしばし馴れゆく闇のなか。白椿朽つる過程思ひき。

暗闇にあらば美しき白椿、紅灯ゆゑか悲しく見えたる。 もぐら
消ぬべきのこころのみゐて、白椿はらり落つるを惜しみけるかな。 もぐら


95.6とどろきて風過ぎしかば、一呼吸おきてさくらのゆるやかに散る。

散る花の行方知りにし心地して、けふ西風の吹き渡るなり。 もぐら
世の憂きのことごと花の如く散るならば佳からむ、と思ひけるかな。 もぐら


98.1あぶら菜に似る黄の花を踏みしだき、われは天空の下の一点。

人独りゐるをしこの世の楽、となして、けふはし菜の花焼酎呑まむ。 もぐら
しばらくの紅の世界にゐて、けふは宿酔ひしろき朝は来にけり。 もぐら


101.4雲ぬけて上空は秋の夕明かり。東の闇にむかひてぞ翔ぶ。

飛行機雲白く引けるを、夕焼けの赤きしるしと思ひたりけり。 もぐら
白き秋の昏れ方なりき。尾をひきて遠ざかり行く札幌行きはも。 もぐら


102.8風蘭の浄き花見ず。夏過ぎて急速に視力衰へゐたり。

見たく無き新聞テレビを見ずあるを、まなこの病の徳としにけり。 もぐら
人憎むゆゑにか最近ケイタイの文字またえ見ずなりにけるかな。 もぐら


104.1乾きゆく赤唐辛子吊るされて、辛辣の過去日に照るごとし。

全羅道冬近きらし、唐辛子何処の家にも吊されゐたり。 もぐら
韓半島冬時雨なり、といふか知らず、唐辛子のみひたすら赤かり。 もぐら


106.1当然の帰結のごとく、人ひとり締めだされゆく会議にゐたり。

ひたすらに声大いなる人の意見のみ通りゐる、会議とふもの。 もぐら
衆愚とふに統一せむがための会議。遺賢の洩るるは当然至極なり。 もぐら


107.1旅に死することまたよけれ、雪柳しろくあふるる坂の道行く。

行旅者のまた倒れしと。季節ゆゑ四国中央署員忙し。 もぐら
うつし世の遍路ならずとも、み仏に縋りまゐらする我が身なりけり。 もぐら


108.2雨の香をまとひて駅に入る人ら、大方は肩に花びらを負ふ。

雨降りの予報はずれしかば、駅ゆ溢れ来る人みな笑みゐたり。 もぐら
悪きやうに悪きやうに言ふ予報なれば、本気で傘持つこころ起こらず。 もぐら


108.3春雷の下抜けてゆく電車にて、雨に花騒ぐ堤の桜。

雷の烈しかりせば、武蔵野線止まりゐるかと問へば、案の定。 もぐら
ひとしきり夕立行きて、水溜まりそれぞれ夏の雲映しゐる。 もぐら


110.4電子量子光子天地万物波動にて成る、とし聴けば身は透きとほる。

みづからが波動、と聞けば断固拒絶、といふが波の恐怖症なり。 もぐら
電子界の縫目くくりし誘導波なれば、消えゆく心配は無し。 もぐら


111.1花鎮めの夜の幻か、花ごろもまとふ少女の直なる視線。

まぼろしの如くありける少女時代、今その中にゐむとしぞ思ふ。 もぐら
うつし身はきのふかぎり、と思ひたる、夏の祭りの花火なりけり。 もぐら


112.7一瞬に生死分かてるかの人の歌声きこゆ、星浄き夜は。

見上ぐれば星の光はまばゆかり、ダッチロールの恨み残して。 もぐら
けふは星となりにし人の歌の、なほ聴こゆるごときしづか夜なりけり。 もぐら


115.3沈滞の空気はまひるのデパートのどの階に来てもわだかまりゐる。

売る気などたうになくなりし店員の、役人顔する老舗デパート。 もぐら
練り歯磨きなどとふ売らず、マンネリを売らば良しとふ老舗デパート。 もぐら


118.4心淡くなりて越えゆく世紀末、やはやはと撫子の花揺るるなり。

地球ある限り咲き継ぐべき花の、萎れ顔する夏ぞ悲しき。 もぐら
あれほどに大騒ぎせし二千年、過ぎけふ八年。皆忘れたか。 もぐら


120.4とどこほる想ひ捨てながら時すぎて、枇杷の花淡く香る霜月。

枇杷の実の橙色にしなびゆく、降霜早きふるさとの町。 もぐら
枇杷を喰ふこころの出でて、ふるさとはきのふのけふとなりにけるかな。 もぐら


124.6法外に値をつりあげて売るごとく、男荘重にみづからをいふ。

若けれど常識の掃き溜めとなりしごとくのかほする男、出で来る。 もぐら
常識を学ばむとして大学に来たらば、やる気を失ふものなり。 もぐら


126.6春潮の音はるかにて、午後はやく影長くなりし人ら歩めり。

春の海はまことに油のごとくして、海鳥さへもたゆたひゐるなり。 もぐら
潮干狩りせし人消えて、干潟にはひたひた夜の汐の差し入る。 もぐら


128.8予定またふえゆく二月。人生は誰にも未完のまま終るらし。

腹減れば、喰ふもの探すを人生、と悟りゐしかば春は嬉しも。 もぐら
予定帖、記事は近頃なくなりて、老の春秋のどかなりけり。 もぐら


131.4石畳踏む音固く、早春の曇りは街に雪呼ぶらしき。

なほも融けぬ氷こびりつく敷石も、緩む気配の春となりたり。 もぐら
なほ今年生きむとするか、と問ふごときぬるき風吹く如月、渋谷。 もぐら


134.5ねがはくは地の塩たらん、浜に焚く炎終りて潮の寄りくる。

これ以上塩入り料理は御免なり、世の中うまきものもあらむを。 もぐら
塩入れず、と言ひても具には塩多し。塩無きものは世にありとふに。 もぐら



続尾崎左永子歌集
現代短歌文庫
砂子屋書房 2006年8月5日




 [37]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2008年06月20日(金) 21時25分12秒 ]


夕霧峠(抄)


64.6愚母賢母、まぎれもあらず愚母のして、娘の決断におろおろとする。

愚母にまれ、賢母ならばなほ如何ともしがたきものは、娘なりけり。 もぐら
愚母の腹より出でにける愚息ゆゑ、儚さまでもコピーコピーなり。 もぐら


65.6珈琲店にゐて、背後よりきこえくる首位攻防戦に、関はり持たず。

テレビ見ゐるときには必ず負くる、とふ阪神フアンの心理なりけり。 もぐら
久しぶりに威勢轟く虎なれば、けふ安んじてジョッキ呑まなむ。 もぐら


67.1さくらさくら散りの紛ひに、現し身は透きつつ、空へ吸はれゆかんか。

現し身の溶けて流れていづかたの春とならむか、けふより弥生。 もぐら
春の汐の何処よりかは知らねども、けふより春、と鴎知りゐる。 もぐら


70.4光差すといふにもあらぬ道の果、明るき靄にさくら咲き満つ。

何処より春来たらむか、と怪しむのこころを溶かす虹色の靄。 もぐら
此処までは冬の境と思へども、むかう側なる春の羨もしも。 もぐら


73.3ポトフ煮てゐるを忘るる頃ほひに、ブーケガルニの香が立ち来たる。

のだめにもミルヒーにも佳きブーケガルニ。香りの高き千秋のポトフ。 もぐら
餌付けされ易き人また胃腸丈夫。黴菌カレーぐらゐはびくとも。 もぐら


76.6あらかじめ迫る殺気を断つごとく、猫が尾を立てて行く冬の坂。

誰か餌を呉るる、と察知せし猫は、標識の如き尾を立て趨る。 もぐら
三日月の国へと帰る猫らしき、にゃおとも鳴かず、しっぽ立てゐる。 もぐら


81.4夜のふけに、犬は鎖の音ひきて、眠りのかたち選びゐるらし。

夢の中のみに飼犬鎖切りて、蒼き月夜に吠えゐたるなり。 もぐら
吠えたきを我慢我慢の夜更けて、月蒼きゆゑ我慢しかねつ。 もぐら


82.3黙黙と夜の電車に運ばるる、この単純の時間を愛す。。

きのふより一日寿命の縮まりし、などとふ物思ふ終電車かな。 もぐら
しづしづとけふはきのふに移りゆく、こころを運ぶ終電車かな。 もぐら


86.4終滅のたしかなる日を知らずして、春日浴みゐるわれは何者。

借金を返すあてなき一日の春、昼風呂にのびのびとせむ。 もぐら
借金を返す、などとふ人倫にもとるを強制すれど、春なり。 もぐら


続尾崎左永子歌集
現代短歌文庫
砂子屋書房 2006年8月5日

 [36]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2008年06月16日(月) 15時53分13秒 ]


春雪ふたたび 1993-1996


12.1生きるとはすなはち愁ひ。夕光の鬱金桜をわれは見て佇つ。

笑ふごとく生き笑ふごとく死す。これはあながち理想にあらず、としても。 もぐら
泣き泣きて死するより笑みつつ死すを、さるべしと思ふこころありけり。 もぐら


12.2たまきはる内の光を明かすごと、ひらく椿の花のしろたへ。

くれなゐの椿落ち行く春の日の長きを、人待つ身に知りにけり。 もぐら
けふはしづか昏れ行くひと日に、何びとか命を失ひ給ひしか知らず。 もぐら


12.3曇り夜となりたる巷。花冷えの闇ふくらみて風起るらし。

風ひとつ花ひとつして、宵よりは、春の気近しと知りにけるかな。 もぐら
夢ばかり見さする都会の宵は、また憎しみ含む春の宵かな。 もぐら


13.2背に負ふといふことなくて育ちたる娘が、のびのびと髪梳きてをり。

褒むるとも叱るとしても、それぞれに児といふものは育ち行くなり。 もぐら
体のみ大きく大きくなり行きて、母を超ゆれど、娘は娘。 もぐら


14.1しみ出づる水のごときを蓄へて、愁ひはつねに浄しと思ふ。

自己都合ばかりの憂ひなりけり、と六十路となりてやうやく気づく。 もぐら
一條の水より巨堤も決壊す。流体とふは恐ろしきかな。 もぐら


14.6悲しみの余韻のごとく、つばひろき帽子が白く遠ざかりゆく。

少年のころは帽子を憎みてし人に、山高帽冠れとて。 もぐら
十ガロンほどのバーボン容るるとふ帽子かぶりて、西部を行かな。 もぐら


16.3風の日はひたすら寂し。遅れ咲くさくらの花片、光りつつ飛ぶ。

さくら散りて一際暑き空気あり。今年の夏もかくてあるなり。 もぐら
淡雪にまがふとしらぬ山桜。冬、はなびらと共に往ぬらし。 もぐら



18.5夜のふけの無音は、秋の気にみちて、洗ひたる髪、いくばく寒し。

髪あらひけるがゆゑにか、夏の夜はひさかたぶりに涼しかりけり。 もぐら
別離とはきのふのことにありにし、と髪洗ひつつ秋はさ思ふ。 もぐら


20.7遊歩道に吹かれつつ移る砂みえて、この海の町、また冬に入る。

砂浜は十メートルほど消えしとふ。日本海なほ荒波高かり。 もぐら
護岸とふコンクリートの断崖に、恨むがごとく浪は打ち寄す。 もぐら


22.4空よりも海が明かれる夕ぐれの埠頭に立てば、冬の髪冷ゆ。

洗ひ髪乾く間もなく凍て行きて、大泊港は厳寒の風。 もぐら
豊原の面影何処にもあらねども、街路構成なほ残りけり。 もぐら


24.4泥濘をみることいつかなくなりて、雨靴さへも色の華やぐ。

本人のトラウマさへも忘れしが如くに、長靴泥濘を行く。 もぐら
ぬかるみの道なくなりて、雨の日もこころときめくことなくなりき。 もぐら


27.8人の心量りてものをいはん、として、その屈折に気付きて黙す。

測らむ、と思へばすなはち変へて来る、役人気分は詮方なかりき。 もぐら
もの判り悪しきこころに物言ひて、その詮なさにくじけにけるかも。 もぐら


33.8少しづつ光の平面移りゆく、凪の港をガラスが隔つ。
旅の宿の窓のむかうに港ありき。ガラス破りて鴎とならむ。 もぐら
明日よりは凪とならむ、と西の海の上にかかりし虹をしぞ見る。 もぐら


37.2離婚、といふ重き試練も昨夜みたる夢の記憶に似て、とめどなし。

×の数増すのみにして減ることの無きは、エントロピーのままなり。 もぐら
結婚より離婚の面倒少なきは、さがなき人のこころゆゑなり。 もぐら


41.4かくてまた夏果てんとす、いかならん、明日と雖もわが生にして。

悲しかりし春逝き、悲しからむ夏、ひたすら待ちゐるこころ悲しも。 もぐら
いのちとはきのふ限りにあらねども、明日より我は酒止めむとす。 もぐら


57.5沈丁花息ぐるしきまで香に匂ふ、夜の道来れば、駅の灯点る。

終電の行きたる後の駅の如く、こころの灯しもなべて消え行く。 もぐら
沈丁の溶けゐる酒を呑むごとくして、今宵また酔ひにけるかも。 もぐら


60.3流れ去る時のまにまに、今年逢ふ雨夜のさくら、月夜のさくら。

きのふまでさくらゐしとは知らぬかほして、夏風は吹き来るなり。 もぐら
桜散りしなどと儚き便りのみ来て、北国は春闌けにけり。 もぐら



続尾崎左永子歌集
現代短歌文庫
砂子屋書房 2006年8月5日
ISBN4-7904-0917-1 C0092


 [35]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2008年04月24日(木) 17時06分19秒 ]

眺望 若山喜志子

9.1西窓に夕日が覗きはじめたり、一月三十日書き止めおかむ。

六時なれば、朝日は昇り、夕日沈む。春分越えて船進むなり。 もぐら
船室の窓より朝日の差し入るは、本船南に進むなるべし。 もぐら


14.3桔梗のつぼみふくれて、見る間にも咲かんばかりの紫の濃さ。

咲きたしのこころ溢れて、紅色に恥ぢらふ蕾の花をいとしむ。 もぐら
ゐ給ひし母がことのみ思ほゆる、きのふ咲きにし紅桔梗かな。 もぐら


20.3誰と共に何処に行くの夢なりけむ、摘みためし花を髪にかざして。

万葉の妹が挿頭せし梅の花、千代のかほりを懐かしみけり。 もぐら
きのふまで咲きゐし花の萎れし、と。朝白むまでえ知らざりけり。 もぐら


27.3満目の若葉にそよぐ風の見えて、遠くまた近く春蝉きこゆ。

浅みどりしそめし梢をみて、けふの春のほがひを言祝ぎにけり。 もぐら
春の悶えやうやく収まりける我が身、蝉の声にぞ病みゐたりける。 もぐら


31.4今年また春をうつうつ病みこもり、紫すみれ摘むこともなし。

世のなべて春病みしゐる如くみえて、雨、雷の止まぬなりけり。 もぐら
白髪多くなりける頭を恥づる身に、旅券の写真を撮れなど言ふ人。 もぐら


43.6ふと我に帰れば、もとの遠空に鎮もる穂高の岳にぞありける。

白き林檎の花に、紛ひて常念の峰々白き豊科の朝。 もぐら
ふるさとの山に残れる雪の白き、見つつ涙の零れけるかな。 もぐら


56.2育ちゆく子供等のため、軒をひろげ窓あけて今日の明るき元日。

この一年大人び行きたる子を見つつ、我が用の無き年来むを思ふ。 もぐら
新たなる年に何事の起こらむか知らねど、元日天下晴れなり。 もぐら


57.7春真昼、障子開け放ち紫のかげりの奥に人のをるみゆ。

人来るを待ちゐしことを忘るるがごとくに、温き春の風吹く。 もぐら
ゐて往にて今無きことの多かるを、人の春とぞ思ひけるかな。 もぐら


61.3狎るるな、と戒め思ふ心すら、浅薄なりしよ、穂高の岳よ。

ふるさとの送り給ひし林檎より、ひさしく見ざりし穂高の薫りす。 もぐら
ふるさとを離れて年月経にければ、山河心にちひさくなりぬ。 もぐら


68.4幼等にばかされながら、馬鹿になりて、心平ぐ四月朔日。

世の人は馬鹿ばかりなり、と思ひつつ、馬鹿にはなれぬエイプリルフール。 もぐら
エイプリルフールと殊更祝はずも、馬鹿ばかりなる憂き世なりけり。 もぐら


84.2姉さま、とよばれたく心寄せをれど、君はなぜか我を先生とよぶよ。

先生と呼ばるるほどの馬鹿ならず。されども人なほ先生と呼ばず。 もぐら
聞く耳を持たざる人は、先生と呼ばず。先生と呼ばれはすれとも。 もぐら


87.2くれなゐの内ごもり匂ふわが乙女、はやくも人にとられむとする。

きのふまでゐし娘ゆゑ、夕餉つくる我を助くる手無きが悲し。 もぐら
ゐしままの姿に立ちゐるむすめ、けふひとりの我に夕餉作らむか。 もぐら


88.1急患の子を病院に見送りて、茫と佇つ門に紅梅の花盛り。

遠ざかり行く救急車見送りて、けふありしことのなべてをし思ふ。^ もぐら
けふはけふ、明日は明日よ、と思へども、人の命はなほも儚し。 もぐら


97.1山の宿に一人とどまり徒然の極まらむとする時、雪降りいでぬ。

何かせむ、と来たる旅にはあらねども、雪降る宿はつれづれなりけり。 もぐら
けふまでの山の宿よ、と来て見れば、紅葉は散りゐて時雨するなり。 もぐら


113.2遺墨への箱書きをいくつして来しか、時には偽筆もありけむものを。

名前のみありがたがるとふ世の風の吹きしがままに、けふも名を売る。 もぐら
名を入れて、これが真価の幾十倍なり、と思へばこころ恐ろし。 もぐら


118.2れんげつつじ、忽ち花に開きたり、少し紅さく淡き朱のいろ。

桃、木槿、色かさなりぞ美しき、色迷ひせる我がごとくに。 もぐら
合歓の花の咲きたりけり、と夢の中に聞きゐて夏は果てにけるかな。 もぐら


121.5飲食をつつしみをれば、身を包む草木の呼吸に溶けゆくおぼゆ。

腹減りて苦しき若き頃の身は、何処行きしか、喰ふ気起こらず。 もぐら
腹減りて苦しき折には店は無し、喰ひたきなきときレストランばかり。



眺望 若山喜志子
短歌新聞社文庫
平成11年6月25日発行

第5歌集 昭和26年から35年

若山喜志子
1887 長野県生
1907 広丘高等小学校勤務
1912 若山牧水と結婚
1928 牧水死去
1968 死去



 [33]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2007年08月10日(金) 22時09分32秒 ]


小林信也 歌集 「合成風速」 から

12.2
空席をひとつ見つけて、お前座れ、あなたどうぞ、と揉めてゐるなり。 もぐら

15.2
法事何時、ごみ出し何時、と日時ばかり切実となりし別居生活。 もぐら

15.3
男女平等とは雖、流し台男に合はさば彼女ら怒らむ。 もぐら

20.2
呆れゐたまふか、飽きたまひしか知らず、師よりの年賀来ず、となりたり。 もぐら

23.1
社長工学など教へゐるゆゑは、半数将来社長たらむ、ゆゑ。 もぐら

25.1
計算機、特にソフトは文系となりて久しも、学生ら知らず。 もぐら

27.3
髭はやし良きおじんたる中年の男らなほも遊びゐる、ロボット。 もぐら

32.2
自己中にありなむ上司に、アル中の我はなべて聞く耳を持たず。 もぐら

35.1
せうもなき観光客の我にさへ、ビリケン降らし給へる雨あり。 もぐら

38.1
病弱の我にしあれば、惜しみなく目玉を焼きて給ひし母はも。 もぐら

47.2
蚊に好かれぬるを憎し、と思ふ我は、結局街の子なりと思ふも。 もぐら

51.2
組織とふ自己目的を持たぬものを、作りて笑まふ人事部おっさん。 もぐら

55.1
上毛電鉄に乙女の入りにし、と。時刻表みて我も乗りたし。 もぐら

58.2
運転士、憧れたれど、蒸機のそれだけは勘弁。残暑厳しも。 もぐら

66.1
時空とは所詮同じき座標同士。ゆゑに光速定数となる。 もぐら

68.1
システムを統合せよ、とふ専務。その子会社社長に天下らむか。 もぐら

75.1
通天閣下りて阪堺電車待つ。懐かし懐かし大阪の旅。 もぐら

80.2
我が夫婦知り初めし頃、万博に二度も行きしを笑ひあひけり。 もぐら

93.1
啄木がケイタイもたば、五分置きにしつこく短歌を送りたらむを。 もぐら

102.3
いつか知らず母作りたるが如き歌作るは、同じき遺伝子がゆゑか。 もぐら

105.3
西瓜喰ふために来たりし故郷にあらねど、やはり西瓜を喰らふ。 もぐら

108.2
万葉の植物の名は既に忘れられてしまへり、児手柏など。 もぐら

113.2
かかる老いは昔ありしか知らねども、今ある老いは我の老いなり。 もぐら

117.2
プログラム言語に命を掛けし、とふを聞きてソフト屋恥ぢて死すべし。 もぐら

123.2
烏らは森に帰りて、SLの広場より出で我は呑みたし。 もぐら

125.3
末吉、といふ引きたれど、末とはさて何時のことか、と心閉ぢけり。 もぐら

129.3
万能にあらねば、一応名前のみなりける管理職にてありけり。 もぐら

135.2
省エネと叫ぶ人多く、エネルギー需要は益々増大するなり。 もぐら

141.1
おのれより有能なり、と認むるをえざるの部下を我また欲しも。 もぐら

145.3
N響の定期会員たり、といふマンネリズムを我憎みけり。 もぐら

153.3
北野神社、合格祈願の絵馬多くして、彼ら皆合格せしにや。 もぐら

162.1
父親に何を求むるも儚し、と知りて男は大人となるらし。 もぐら

173.2
ゆうべ帰宅せし道、今朝また出勤す。匂ひは朝晩斯くも変るものか。 もぐら

177.2
我よりもメタボとなりし息子持ちて、焼き肉喰ふさへ恥ぢ入りにけり。 もぐら

180.3
我が頭脳不整なれども、心臓は遥かに一定なりし、と思ふも。 もぐら

193.1
鯨型の島の左右を論じをりし、少女の姿は懐かしきかな。 もぐら

196.2
人間と遊ばむ、といふ心なき、烏の心の黒きを憎みつ。 もぐら

200.3
親の望み、子の望みとは異なれど、いづれも同じ高望みなり。 もぐら

208.1
我が歌を他人は如何に読むや知らず。読者が作者を知らぬが如くに。 もぐら



小林信也 歌集 合成風速
塔21世紀叢書第101篇
本阿弥書店
2007年6月23日発行
ISBN978-4-7768-0364-5 C0092

氏の第2歌集です。


 [32]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2007年06月04日(月) 22時17分26秒 ]

青夏3

夕べの道


88.2戦乱にとほく住みつつ、朝を覚め影あらき土の庭に降り立つ。

戦ふを止めしは戦ふよりも難し、とふを思ひし六十年かな。 もぐら
人の思ふこと拙なきがゆゑのいくさ、無し、となさむが難くありけり。 もぐら


90.4別れゆきし人らのこと、その後のこと。傷みも既に淡々と言ふ。

往にし人ら、今言ひたきは何か知らず。我ただ耳を澄ますのみなり。 もぐら
何を思ひ何ゆゑ往にしか知らぬ人の夢をし見つる、夏の宵かな。 もぐら


91.1にぎはひし会の果てたるのちにして、孤りの時間の甘美に過ぎぬ。

他人の言ふことを聞くとふ苦行をし、互ひに続けて二時間過ぎたり。 もぐら
淋しさに集ひてし人、淋しさを確かめ得たれば、散り行きにけり。 もぐら


93.3恋愛を至上となして、政治など思はぬ青年に、わがなぐさまず。

きのふ覚めしばかりの人は、先ず見たることのみなり、と思ふなるべし。 もぐら
もの知らぬ人らを、我が侭の思想もて煽りたてむ、とするぞ悲しき。 もぐら


95.1溢れつつ押しつつ、夜の街上に灯の流れゆくを見おろして佇つ。

何も思ふことなく、今宵は呑みて寝む、と思ひて赤き提灯を恋ふ。 もぐら
酔ひて思ふことのなべては覚めて思ふことに足らず、となりしが悲し。 もぐら


97.1歯ぎれよく語られてをり、老いづきて世を去ることの当然のごと。

人の老ゆることを語るは、人の何故生れ来るかを語るに等し。 もぐら
きのふまで老いじと思ひし夢やぶれ、杖をし慕ふけふとなりけり。 もぐら


99.4踏切を越えて見えをり、灯に照られ蜜柑の山の輝く店先。

踏切を過ぐる列車の窓開けて、蜜柑降らせしとふ、懐かしき。 もぐら
蜜柑食ひて楽し、と思ひしころは、今何処と探すほどとなりたり。 もぐら


101.2のぼり来し太陽の心を見つめつつ、壮年の今日を生くるほかなし。

幼きの頃に不思議、と思ひてしこと、老いてなほ不思議と思ほゆ。 もぐら
のどかには生きてゐらるることなかりしなり、と壮年のころを想起す。 もぐら


106.4一日のもっとも暗き時刻か、と対ふ暁闇に雨降り出でぬ。

しづしづと淡き雨ふる春の宵は、闇とは言へど底あかりあり。 もぐら
あかつきの光あらむと思ひしに、しのつく雨に明けし春かな。 もぐら


108.1燃えつきしごとく素枯れし向日葵の種を採らん、と庭に降りたつ。

日当たりの悪くしなれば、我が庭に向日葵咲かむは絶望、となる。 もぐら
昔ありし向日葵今は如何ならむ、夏の母校の校庭に咲きたる。 もぐら


108.4なつかしき思ひ抑へて会果てし、酒場ボルガを出で来たりぬ。

なつかしきボルガの店は消え去りて、ウォトカは何処に呑まむか、と思ふ。 もぐら
スンガリも移転せしとふ。かほり高きウォトカの閾高くなりたり。 もぐら


110.3一人を許し得ざりし我は来ぬ、暗くゆたけき真夜の武蔵野。

醜し、と思ふをえざりし人ありて、我美しとは思はずなりぬ。 もぐら
此処にゐてなに思ふことなき人の、ゐしが悔しと思ひけるかな。 もぐら


122.3むらさきに昏るる林を歩みつつ、去りにし一人を記憶より消す。

忘れじ、と思ひし人の、おのづから記憶の淡くなりしが悲し。 もぐら
消ゆべきの名とてひとつのみの我は、人の記憶に頼らずあらむ。 もぐら


124.1怖れざる心を再び呼ばん、とし、点り初めし街を見おろす。

思ふのみならば強くもあるべきを、係累多き男は悲し。 もぐら
人を怖れ、世を怖れゐて、もの思ふことさへしばし絶えにけるかな。 もぐら


125.3反抗をすがしく高きことと思ひ、切口上も聞きてゐるなり。

第何次反抗期かは知らぬ男、自分勝手を述べゐたりけり。 もぐら
自分勝手述べるを人の反抗期、といふ定義と思へば潔し。 もぐら


127.2眠らんと瞑りしとき、職場なる軋轢ひとつ身うちを走る。

軋轢の無き職場など無し、と思ふ、特に儲けが目的ならば。 もぐら
ゲゼルシャフト、ゲマインシャフト共に人の喧嘩の種は尽きぬものなり。 もぐら


127.4永遠の果をふと見る思ひせり、体の凍るごとく覚めをり。

永遠を実証したる人はあらず、これまた人の虚構かもしれず。 もぐら
永遠は、永遠に仮定に過ぎぬなり。人の実証し得ぬことなれば。 もぐら


129.3惜別のこころに歩む、夕昏の店々に見ゆるものらゆたけし。

夕飯に何を食ひても腹痛むことぞ悲しく、恨めしかりけり。 もぐら
腹減らすを以って腹痛の良薬となすなり。飢ゑとは悪しきことならず。 もぐら


130.4疲るれば、まどろみにけり。かなしみは夢の中にも重く淀みて。

仕事とふ九割旨く行かぬものを、し遂げしたりとも悲しみ増すなり。 もぐら
まどろめばうつつの如きゆめを見つ。すぐレポートを提出せよ、とふ。 もぐら


133.4言訳を許さざりにしすがしさを、ひとりの記憶に留めおかんか。

言ひ訳は言ひ訳なり、とさへも知らぬ人の言ひ訳を嘘と言ふなり。 もぐら
嘘をつきて言ひ訳なり、と言ひ訳を言ふ人の心の測りがたきかな。 もぐら


134.2世の常の孤りの思ひに至りつつ、暗き鋪道に出でてゆくべし。

生まれ出でしときより人はひとりなり。ふたりとならむとせしはことあれど。 もぐら
夢の世にあらば虎の身とあらむものを、うつし世ゆゑにけふも飢うるなり。 もぐら



歌集 青夏 島田修二
昭和44年8月15日
胡桃書館


 [31]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2007年06月02日(土) 07時20分15秒 ]


青夏2

流年

50.2きらきらと真鍮の筋をきらめかせ、秋章すすむ交響曲悲愴。

悲惨にして、悲愴ならざるピアノ弾く人をし見抜く、人は賢し。 もぐら
同じ曲弾きてもかくも違ふ。上手下手とは別の視点よりして。 もぐら


52.2知られざる国の旗持つ一人を、一国と迎へ湧ける拍手はや。

国単位にて参加すとふ決まりゆゑに、旗持ち行列せねばならぬなり。 もぐら
腹減りて泣くをも一人の責任、といふ国はそも責任取らず。 もぐら


53.2ふかぶかと冬陽は街に差しとほり、店舗の二階に居間などの見ゆ。

暗き部屋にテレビ光りある部屋ありき。快速グリーンの二階より見て。 もぐら
宿の部屋に入ればテレビを先ずつける、とふ依存症いつよりなりしか。 もぐら


55.3目つむれば、眼裏に陽のいろ見えて幼かりにし日の野辺憶ふ。

幼きの頃に四つ葉のクローバー滅多に無かりし、と今に思ほゆ。 もぐら
少年がゆゑの怠惰か、怠惰なる少年なりしか、野にて思ほゆ。 もぐら


56.1忘れ物をとりに来たりしが最後にて、とりとめもなき言葉遺しぬ。

忘れ物、とふ口実に、夜食まで食べて行きにし人はタフなり。 もぐら
金を貸せ、と言ひ来し人と気が合ひて、貸さねど酒を酌み交はしけり。 もぐら


58.3湖のほとり樹下くらくして、かそけき波の岸を打つ音。

観光者用の地図には載りてをらぬらしき湖、女神のみゐる。 もぐら
きのふまでゐし蛙らはいづくにか去りて、騒がしき観光湖となる。 もぐら


60.2子を生みし妻に逢はん、と病院へ向ひ歩みつつこころ鮮し。

子とふもの、生まれたりし、と。天然の摂理にあれどこころ躍れり。 もぐら
神のみの定め得しことなりけりと、子を持ちて今しみじみ思ひつ。 もぐら


64.3おほよその生の範囲見えて来て、若く優柔にわが生過ぎき。

我が生をみづから判断するほどの智もなく、能なく、力なかりき。 もぐら
我が力、他人に示さむの志、絶えて無かりし若者なりき。 もぐら


65.2敗るれば山河滅ぶ、と言ひし人を東京に訪ひし二十年秋。

たたかひに破れしことの責任も慚悔もなくして、六十年経つ。 もぐら
敗戦がゆゑに儲けしもののみの世となり、六十年は過ぎたり。 もぐら


69.2品川駅の夜は、灯の満ちてゐる林の中に入り来しごとし。

超高層のみ聳えゐる品川の東口。我昔を知れり。 もぐら
蛤の取れたる海、とまでは知らず。それは落語の世界とぞ思ふ。 もぐら


71.3軍にゐしわが年頃ぞおもはえて、街の少年ら昼を屯す。

兵隊とならず、されども兵隊を知り得し歳は、我等が僥倖。 もぐら
兵隊となるもならぬも、浅きこころもて過ごしゐる、若きどちはも。 もぐら


74.4さまざまに迷ひ選びし生活も、納得強ふ、と闇に向きゐき。

遊びをらば楽しからむと思ひしことなかりき。されども仕事は辛し。 もぐら
納得は迷信の所産に過ぎず、とふ疑ひ初めにし我にてありけり。 もぐら


78.3夕昏れて山の迫れる駅に停る。短き旅を終へんとしつつ。

自宅まで、とタクシーに乗れば、長旅の疲れに少なからず眩暈す。 もぐら
予定通り行かぬが旅の常道、といへども今回波乱多かり。 もぐら


83.4勤人の一日を全うして帰り、妻も子も居ぬ家に入りゆく。

暖かき寝床求めてさまよひてありしに、けふなほ旅にありけり。 もぐら
ほのぼのと我が務めはし果てにけり。そこにて帰らむ家のあらむや。 もぐら


84.2感情にとほく、企業にちかし、とももの書きて生くる一群を思ふ。

感情のなべてを会社のために捧げ、もの言ひもの書く人の多しや。 もぐら
一消費者なり、と言へる人の多く、社長の如き物言ひするも。 もぐら



歌集 青夏 島田修二
昭和44年8月15日
胡桃書館




 [30]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2007年06月01日(金) 08時21分23秒 ]


3人はこんなに途方に暮れてよいものだろうか。シャンパン色の熊。

熊のダンス。変態ワールドだよ、と足が竦むときには、シャンパンを抜こう。 もぐら
創造のすべてが真実ではありえない。確かにそれは言い訳なのだが。 もぐら


7嘘をつきとおしたままでねむる夜は、鳥のかたちのろうそくに火を。

嘘月が掛かる夜空に花火上げて、今夜はこのまま徹夜しようよ。 もぐら
泥棒という大罪の始めかもしれぬ、小さな嘘ひとつつく。 もぐら


9「みえるものが真実なのよ。」黄緑の鳩を時計が吐き出す夜も。

表面だけ見て真実が判った、と。また迷信の海に潜り込む。 もぐら
常識というぬるま湯を真実、と言ってはばからぬ人の現実。 もぐら


10尻にあるネジさえ巻けば、シンバルを失くした猿も掌を打ち鳴らす。

金儲けするのは威張りたいがため。私は静かにシンバルを叩く。 もぐら
世の中にいるのはシンバルを叩くためか。真実見いだすためではないのか。 もぐら


14校庭の地ならし用のローラーに座れば、世界中が夕焼け。

絶対、というものがあると学校で習った。しかし一体、何処に。 もぐら
パラダイムという逃げ口上の中にのみ、絶対が実在することを。 もぐら


25はしゃいでもかまわないけど、またがった木馬の顔をみてはいけない。

ぎこぎこぎこシーソー漕ごう。ぎこぎこ、と一人で漕ぐのに飽きてしまうまで。 もぐら
壊れそうな遊具に関心を示す、という首長の顔を見たことがない。 もぐら


31鳩を追いかけ回したり、声をあげて泣いてもいいのは、五才までだぞ。

迷信に定年はない。八十歳でもまだ信じている人がいる。 もぐら
泣くときは泣け、笑うときには笑え、という原則は迷信だろうか。 もぐら


33秋になれば、秋が好きよ、と爪先でしずかにト音記号を描く。

いろはでは、イが始めだと思ったのに、何故音楽は、ハから始まる。 もぐら
春の歌を最も楽しく歌うのにふさわしいのは、モンシロ長調。 もぐら



ぞうのうんこ 穂村弘 東君平
1997年4月20日
エディションq
ISBN4-87417-542-2 C0771


 [29]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2007年05月06日(日) 16時33分23秒 ]


青夏1

風と記憶

10.2赤門の朱に西陽の射すゆふべ、訪ねし人に会へず帰りく。

研究室鍵はさされて、銀杏の葉のみそこ此処に散りゐたりけり。 もぐら
予算多くおりたりければ、銀杏の葉も降るべき土地の無くなりにけり。 もぐら


12.3かなしみの色分けしごときドロップの一粒を、子がわが口に入る。

なにも呑めずゐし我は、なほ紅色のドロップ一粒恋ひゐたりけり。 もぐら
術といふをいまだ知らざるおさな子は、ドロップひと粒我に給ひつ。 もぐら


15.2河口も空も茜に染まりゆき、帰りゆくべき故里はなし。

蝸牛の如くふるさとを背負ひあるき、つひにはそれに帰らむと思ふ。 もぐら
川の水の、故郷海に帰る如く、我にも果つべき海路あらなむ。 もぐら


19.4食堂の匂へる駅にどめどなく思へり、戦前にして少年なりし日。

腹減るは少年の頃の特権、と物をしえ喰はぬ老人は思ふ。 もぐら
物食ふを、往にてし母やそねみけむ、晴れ着を売りて供せしなれば。 もぐら


21.3目交に晩夏なる海。真実の一部分としもうねりつつ鳴る。

はつ春の海鳴り近く聴きにけり。我また北へ帰らむと思ふ。 もぐら
街に住む日々のみ長くなり行きしこと、知ろしめし海の音かな。 もぐら


23.1平穏の比喩となるべく歩みゆく、河口に沿ひて茜なす道。

しばらくの安穏あかねにしのばせて、海辺の村の一日は終る。 もぐら
明日といふ日はありやなしや知らぬ身に、ひたすら茜の夕日さやけし。 もぐら


25.3刻刻と翳移しゆく向日葵のひとりなるもの、烈日に乾く。

おもひ出のよすがたりける向日葵の大、小、花はなほ咲きゐむか。 もぐら
故郷の高校の庭に咲きゐたる向日葵、なほも我が胸に咲く。 もぐら


26.1一本の線を引くごと生き継ぎて、一人また二人の幸のみ希ひき。

幸せになりたり、といふ学生の一人でもゐたらば教師万歳。 もぐら
学生のマンネリ憎むを教師たるの職責、として今年も暮れつ。 もぐら


27.1幸福論ひとつを持たず、街上に三十五歳の夏を逝かしむ。

中年に幸福などはあり得ず、と老年に到り過去を想起す。 もぐら
上昇志向うしなひし親どもは、子の無気力に嘆きつるなり。 もぐら


28.3もろともに子と浸りつつ、溢れゆく湯のゆたかさをわがものとせり。

容赦なく我が病みたりし皮膚を犯す温泉、鋭き硫黄の匂ひす。 もぐら
狐そこに顔見すれども、共に入ることはなかりし露天風呂かな。 もぐら


31.3子を叱れる妻の声せり、みづからを励ますごとき充ちし声して。

子を叱る母は強しも、女子高生たりしころにはかく叫びしか。 もぐら
のだめ如何に子を叱るかを知らまほし、ムキャーとギャボーと別の声もて。 もぐら


32.4家の外に雨降り初めて葉を鳴らす、かそけき生も賑へる夜。

山は山、里は里にてそれぞれに、ひさかたぶりの雨に濡るる午後。 もぐら
きのふまで晴れゐしことは嘘の如く、山、里ともにむせびゐるなり。 もぐら


37.4動員に励みて恋ひし自由とは、のどけき世とは、ただいまのことか。

戦争に行かぬ自由を得たりけり、と心に叫びし一九四五。 もぐら
戦争より平和の力の大きなることをし知りし、六十年かな。 もぐら


39.4高空の狭きひとところ吹き抜くる、北風のおと、また新しき。

ふるさとゆ吹き来る風らし、その中にひそと親父のたばこの薫りす。 もぐら
はつ夏の嵐と言へど荒れ狂ひ、我らは頭よりづぶ濡れとなる。 もぐら


46.2雨に濡れし夜の林に入りゆけば、林の中の闇の優しも。

何も無きを闇と言ふにはあらずかし、なべての悪の潜むを言ふなり。 もぐら
何も見ず何をも聞かぬ人ら多くゐる街覆ふ、真昼の闇かな。 もぐら


48.3かく暑き日なりと妻に語りゆく戦終へたる十九年前。

たたかひは永遠に終へむ、と誓ひてしこころをむげに捨てむとする子ら。 もぐら
生き残りたる者のみの微笑みを平和、と言ふには忸怩たるあり。 もぐら


歌集 青夏 島田修二
昭和44年8月15日
胡桃書館



 [28]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2007年03月30日(金) 17時02分02秒 ]

惜秋 村山美恵子


10.2何を思ひ逃亡図りし大根か、ふとぶとと足二本をつけて。

二股の大根を見て、なにや知らずそれが色香に迷ひけるかな。 もぐら
いのちとふ逞しきものを見たりけり、石垣の間より出でし大根。 もぐら


13.1戻りくる夫と信じて送り出す。この気楽さよ、朝な朝なに。

門を出でてかへらざる日のあらむ、とは思へどけふは朝の気のあり。 もぐら
七人の敵より八人目の敵の、手ごはしと思ふ帰宅どきかな。 もぐら


16.2ゆきずりの命ひとしく預けむ、と列をなせり。搭乗開始寸前。

人なべて飛行機に乗るが当然、と思ふのみなるいまどきの旅。 もぐら
足の出ぬ飛行機なれども、乗りしゆゑに旅の予算は足出でにけり。 もぐら


21.1父のインバネスの内温かりき。窓近く翔べる鴉の羽のひろがり。

天狗ゐしなどとふ記憶のよみがへる、インバネス着る人の古写真。 もぐら
鳶ならぬトンビの如きインバネス、着てゐし父がことをし思ほゆ。 もぐら


30.1おそらくは人を初めて見しならむ。山小屋にまぎれ込みたる蟋蟀。

何のゆかりたよりなかりし蟋蟀と、一夜をい寝ることあはれなり。 もぐら
こほろぎを鳴かせし我よ、と思はねど、後ろめたきの山の宿かな。 もぐら


36.1元旦のホテルの遊技場、誰もゐず。不意にさぶしゑ、夫は癌病む。

癌なり、と何ゆゑ早めに知るを得ざる。疑ふこころが悲しかりけり。 もぐら
告知したき医師ならばさせよ。したくなきならば無理してせずにあらまし。 もぐら


41.2わが肩を借り歩まむ、とまはしたる歳月ながく触れざりし腕。

頼ることあるまじとせし妹が腕に身を寄せて、なほかなしかりけり。 もぐら
目を閉ぢて昔の肌をし思ひけり。懐かしきこと、如何にすべきか。 もぐら


44.2健康な人らあふれてさざめけり、看取り疲れの乗る地下鉄に。

明日死なむ人を抱へし我が身ゆゑ、人並とふこと思ふえざりき。 もぐら
思ふ如く四肢の動くを健康、といふならばかつてさることありき。 もぐら


50.1出席の叶はざりにし理事会を、テレビニュースに夫は見てをり。

思ふ如くならず欠席つづけたる委員会、今如何にあらむや。 もぐら
委任状はんこをつきて、何となく義務はたせしが如くに思ほゆ。 もぐら


57.2返せ返せ、夫をかへせ、とひたに叫ぶ三色に滲むスケジュール表。

通院の予定ばかりとなりにける、病むこと多き我が手帳かな。 もぐら
病院の予定の無きを健康と人は言ふらし、健診を除き。 もぐら


60.2可能性のすべて閉ざされたるが死ぞ。正五位勲五等双光旭日章。

褒賞を貰ふより人に与ふるの立場にあらむ、となほも思へり。 もぐら
受賞せしを祝ふとふこそめでたけれ、我に多少の恨みありとも。 もぐら


61.1耳を塞ぎ美恵子の泣き声聞くまじ、と叫びしよ、意識混濁の夫。

永遠の別れなりしに涙の出でざるを、あまりに重きがゆゑと思へり。 もぐら
情がゆゑにかなしと思ふにあらざりき。これも生よ、と思ひしゆゑなり。 もぐら


63.1亡き舅姑へ夫を戻す寂しさに襲はれてゐつ、納骨の朝。

いづれまた我も入らむの過去帳に、人の名を書き、はたと閉ぢたり。 もぐら
我ら共に入らむの墓ゆゑ、是非もなく価の安きに決りたりけり。 もぐら


72.1所得税、相続税を納付せり。こののち国の無為徒食の徒。

ゐし人に代りて税を申告す。多少の遺恨も消えし心地す。 もぐら
残すほどの遺産無ければ、申告の労をしとらむ人に詫びたり。 もぐら


76.1君も君も夫あり子あり母ありて、たったひとりの吾なる不思議。

結び来しふしぶし多くつらなりて、我が身をなほもこの世に繋ぐも。 もぐら
逢ふことのありせば共にありにしを、人ゆゑえにしはまた裂かるなり。 もぐら


93.2立春の日射しあかるき亡き夫の部屋に書を読み、留守居のここち。

ただいま、と帰りこむべく帰り来ぬ人のみ偲ばゆ、春の午後かな。 もぐら
広くあらぬ心の我も、しばらくは無為を楽しむ春の午後かな。 もぐら


97.1あることは三度の三度目また逃げて、逃がしてしまふことの三度目。

似たやうなることはあまた度あるがゆゑに、ただひとたびを忘れゐるなり。 もぐら
悪しきことは一日三度と決りたれば、四度あるけふは大凶日なり。 もぐら


106.1村上、はた、村山美恵子。いかやうにも呼べかし。吾は吾にて答ふ。

のだめのだめ、のだめとふ名に意味のあるを知りにしゆゑにのだめのだめ、なり。 もぐら
名付けしは親とは知れど、七十年それにて過ごせば血肉となるなり。 もぐら


113.2鉢合はせにまた電話あり。人恋しく思ふ周期の似る二人らし。

金貸せ、と金貸したしの鉢合はせ。実現せしまた人智なりけり。 もぐら
金貸せと金貸せのみにて、貸して呉るる人なき京も秋の暮かな。 もぐら


122.2待ち合わせ場所への身支度する如き思ひきざしつ。夫の忌の朝。

慕ひゐし人の二三は忘れずにゐしが嬉しき、十三回忌かな。 もぐら
ゐし人はゐるが如くに思ふらし、今朝また隣の床を見にけり。 もぐら


139.1真夜中に茶漬けを喰ふ悪癖の戻り来つ。鬱去りゆくらしも。

物食ふを嬉しと思ひしことなくて、深夜に一杯の茶漬恋ひけり。 もぐら
腹減るは悲しかりけり、さ、と茶漬つくり給ひし人しなければ。 もぐら


154.1五万年の氷漬けなりし南極の酸素、気管を今通りたり。

スコッチをとくとくそそぎて、ちち、と音をたてゐる氷よ、おん年幾つか。 もぐら
ペンギンの何やらもまた凍り入らむ、南極氷を有り難かりけり。 もぐら


157.2淡き月かかげる空の青淡く、年改まるといふことあはし。

しがらみの無き朝ゆゑに晴れにしか、無為のこころに東を見たり。 もぐら
共に年を取りたりけるに、今年より我のみひとり年を取り行く。 もぐら


188.1今行くてふ電話、どこからかけにしか分からぬままに待つ四十分。

あの世よりかけ来る電話のかそけくも、虚しきこころにけふも響くも。 もぐら
待つといひて待つすべも無き旅立ちを知らず待ちゐる、我にしあるらし。 もぐら


195.1幸福の木に青白き花咲けり。花に逢ひたることのしあはせ。

二人ゐて幸せなりしが、一人たりし頃、また一人となりたる今も。 もぐら
共にゐしころ懐かしや。その頃の花も咲きけり、けふまた咲きけり。 もぐら



村山美恵子
昭和11年 旧満州生
昭和42年 水甕
歌集 朔回 漂寓
編著 夫 村山務
藤間流、大蔵流

歌集 惜秋 村山美恵子
平成十年九月二十八日印刷発行
短歌研究社
ISBN-4-88551-413-4 C0092


 [28-1]
投稿者:[ 村山美恵子 ]  投稿日:[ 2007年09月26日(水) 18時08分50秒 ]

[28]2007年03月30日(金)に『惜秋』を現代短歌研究室でお取り上げいただきながらお礼が大変遅れまして失礼致しました。
今年は『尾上柴舟大正期短歌集』の編集と校正にかかりきりで、こんな楽しい短歌のコラムがあるとは気がつきませんでした。
拙詠よりもぐら様のお作品のほうが断然楽しい!。
挽歌にもご想像を働かせてのパロディに只々脱帽です。特に「わが肩を借り歩まむとまはしたる歳月ながく触れざりし腕」に「頼ることあるまじとせし妹が腕に身を寄せてなほかなしかりけり」は亡夫が喜ぶことと存じます。
10月3日は亡夫の13回忌ですが、印刷して今から供えます。
ついでながら亡夫のプロポーズしました日は十三日の「金曜日」でした。
もろもろありがとうございました。
もぐら様の御建詠をお祈り申し上げます。

 [28-2]
投稿者:[ もぐら ]  投稿日:[ 2007年09月27日(木) 08時03分06秒 ]

村山美恵子様、
 この度は、貴歌集「惜秋」を拝読させて頂き、本当にありがとうございます。
また、私の歌も、ご高覧頂き、まことに光栄でございます。
 どうかまた素晴らしいお歌を拝読させて頂きますよう。尾上柴舟歌集、出来ましたら、
ぜひ拝読させて下さい。
 ご主人様の一三忌。合掌。




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